※記事には古い情報も含まれますので、ご注意下さい。当サイトに掲載された内容や、リンク先のサービス等によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

公開講座「欧文書体の歴史と骨格」受講 その1

2014/9/12

  • デザイン

大阪藝術学舎で行われた公開講座「欧文書体の歴史と骨格」を受講しました。 古くは1400年代、ヨハン・グーテンベルグが金属活字を用いて世界で初めての印刷工場を造った頃から遡り、近代のデジタル書体の時代までの欧文書体の歴史を学びました。

登場人物と概要

下記は講義で登場した方々のリストです。

  1. ヨハン・グーテンベルグ(1398-1468) ドイツ。マインツで金属活字の印刷を開始。当時はブラックレターが主流。

  2. ニコラ・ジェンソン(1420-1481) フランス。国王の指示でグーテンベルグの工房へ。後に独立し、オールドローマン体の元祖を彫る。後に復刻されるのが「セントール」。

  3. アルダス・マヌティウス(1449-1515) ベネツィア。出版会社アルダス工房設立。「ベンホ」。

  4. ジェフロワ・トリイ(1480-1533) フランス。タイポグラフィ本「花園」出版。王の印刷者と呼ばれる。

  5. クロード・ギャラモン(1480-1561) フランス。街の印刷屋さん。アルダス工房の活字を渡されフランスらしい活字を作る。「ギャラモン」。

  6. ジャン・ジャノン(1580-1658) フランス。エゲノルフの見本帳(ギャラモン死後売却された活字を元にした見本帳)を見て、さらに洗練させて印刷。

  7. クリストファ・プランタン(1520-1589) オランダ。印刷所と出版社も兼ねたプランタン印刷所は、現在世界遺産になっている。

  8. ウィリアム・キャズロン(1692-1766) イギリス。キャズロン活字鋳造所設立。丸みのあるスクリプト体を活字設計の中に取り組む。「キャズロン」。

  9. ジョン・バスカヴィル イギリス。オールドローマン体からモダンローマン体へ橋渡しをした。「バスカヴィル」。

  10. ピエール・シモン・フールニエ(1712-1768) フランス。活字サイズを考え出した(ディドポイント)

  11. ジャン・バティスタ・ボドニ(1740-1813) イタリア。パルマ公国印刷長としてフールニエの活字を使って公文書を印刷。50才の頃から活字制作開始。「ボドニ」。

  12. ウィリアム・モリス イギリス。デザイン近代史の父。ボドニ・ディド・バスカヴィルを否定し古典に回帰。

  13. スタンリー・モリスン(1889-1967) イギリス。ペリカン・プレス編集長。モノタイプ社タイプディレクター。ギャラモンはじめ、古典活字を多数復刻。「タイムズニューローマン」。

  14. エリック・ギル(1882-1940) イギリス。エドワード・ジョンストンの授業を受ける。スタンリー・モリスンと出会い書体制作。「パペチュア」「ギルサン」「ジョアンナ」

  15. エドワード・ジョンストン イギリス。アーツ&クラフト運動メンバー。ギルを助手にしてロンドン交通局の書体を作る。

  16. ヤン・チヒョルト(1902-1972) ドイツ。バウハウスの教師と交流を持つ。活字と写真が影響し合う時代を明言。ペンギン・ブックスのデザインをリニューアル。「サボン」。

  17. パウル・レンナー(1878-1956) ドイツ。「フーツラ」はヨーロッパ中に流行し、アメリカから日本にも入ってきた。

  18. アドリアン・フルティガー(1928-) スイス。印刷されない部分の造形に注目し、書体を設計。「ユニバース」にてファミリーの構成を発表。「メリディエン」「アポロ」「セリファ」「 OCR-B」「イリディウム」「フルティガー」「センティニアル」「アベニール」。

  19. ヘルマン・ツァップ(1918-) ドイツ。「オプティマ」はセリフレスローマン体のはじまり。「パラティノ」「ザッフィーノ」。

  20. オトル・アイヒャー(1922-91) ドイツ。ウルム造形大学を設立。デジタルタイプを目的に「ローティス」を作成。

  21. エミグレ【スザーナ・リッコ(1961-)、ルディ・バンダーランス(1955-)】 アメリカのフォントメーカー。当初はビットマップフォントを多数開発。古典に回帰し、バスカーヴィルを元に「Mrs.イーブス」を制作。「メイソン」「フィロソフィア」「ベンゼッタ」「トリビュート」。

  22. T-26 シカゴのフォントメーカー。

  23. ネヴィル・ブロディ イギリス。FUSEという雑誌にフォントを付けて発売されている。


欧文書体の基礎を作ってきた偉人たちの生い立ちや性質などを交えて、歴史の流れを聞くことができました。 今まで何気なく使っていた有名どころのフォントの作者がこんな人だったんだ!と思うと、胸がワクワクしてとても楽しい授業でした。 色んなエピソードを伺いましたが、特に心に響いたお話をいくつか列記します。

  • 1930年代に日本で写真植字を開発した石井さんと森沢さん。戦争を経て、実用化されたのが1950年代。その後けんか別れをされたお二人ですが、石井さんは東京で写研を、森沢さんは大阪でモリサワを作ったそうです。

  • 私の大好きなギャラモン。クロード・ギャラモン死後、活字の一部はドイツの市に、主な母型値はネーデルランドのプランタン印刷所に売却されます。現在のアドビ社のギャラモンはプランタン印刷所系、モノタイプ社はジャン・ジャノン系、サボンはヤン・チヒョルトがデザインしたものとルーツが分かれているそうです。

  • 変わり者で有名だったジョン・バスカヴィル。自分が死んだら水車小屋の下に空を飛ぶかたちで埋葬してくれと遺言していて、実際に亡くなったあと、親戚が非常に困惑したそうです。(この話何回も思い出し笑いしてしまうww)

  • ドイツのヤン・チヒョルト。23歳の時にタイポグラフィの10か条として、文字以外の装飾をするな!書体はサンセリフに限る!等の論文を発表して、デザイナーに衝撃を与えたそうです。この当時のタイポグラフィーがシンプルなレイアウトで本当に素敵! 後に強制収容を経験しスイスへ亡命。その後は古典回帰したようなレイアウトで、複数の書体を組み合わせた「タイポグラフィの形成」という本を出版します。ナチスのように強い言葉で主張したことへの反省だそうです。環境が変わり、年齢を重ねたことで柔軟になられたのでしょうか。考えさせられるお話でした。

  • アドリアン・フルティガーは、組んだ書体を階調を反転して印刷し、ホワイトバランスを見ていたそうです。

  • エミグレから発表された「メイソン」は、当初「マンソン」という書体名でした。アメリカで起きた新興宗教の殺人者チャールズ・マンソンの名前に由来して実験的に名付けられたそうです。その後、批判を受け「MANSON」のNを抜いて「MASON」に。 そして日本では、キリスト教系の明治学院大学のロゴなどVI全般にこのメイソンが使われているとか…。(アートディレクターは佐藤可士和さん。)

  • エミグレの書体デザイナー、スザーナ・リッコ。「読めなくても慣れたら読めるからいいの」と公言し、いい加減な文字組で荒らしてしまったDTPに対して「Mrs.イーブス」を発表。バスカーヴィルにはなれないけど、奥さんのイーブスにはなれるかもしれない、と。またそのフォントが美しく。基礎があるからこそ若い感性で第一線を進めたんだなあと思いました。

長くなりましたので、この辺で! 講義でおすすめ頂いたり、ご紹介いただいた書籍について、次回のブログでご紹介します。